~ワクチン後遺症患者が内田氏の動画に寄せて~
動画を見ながら、私は感謝した。
先日、相談した人にピンチはチャンスと言われ、このピンチから立ち直れるか不安だったからだ。
内田氏が語る「この世にいらない人なんていない」という言葉が、どれほど私の様なワクチン後遺症患者の心に響いたか、お分かりいただけるだろうか。
現代版「ビューティフルワン」になった私たち
内田氏が紹介したユニバース25の実験で現れた「ビューティフルワン」。争いを避け、他者との関わりを捨て、安全な場所に隠れて生活する個体たち。これはまさに今の私たちワクチン後遺症患者の姿ではないだろうか。
私たちは好きで社会から離れたわけではない。ワクチン接種後、原因不明の体調不良に苦しみ、医師からは「気のせい」「精神的なもの」と言われ続けた。家族からは「怠けている」と誤解され、職場では「使えない人間」のレッテルを貼られた。そうして次第に、私たちは社会との接触を避けるようになっていった。
優秀でなければ価値がないという社会の暴力
「優秀な人だけが価値がある」「成果を出せない人間はいらない」。この社会の風潮が、どれほど私たちを苦しめているか想像できるだろうか。
以前の私は、フルタイムで働き、税金を納め、社会に貢献していた。しかし今は、階段を上るのも辛く、集中力も続かない。そんな私に向けられる視線は冷たい。「怠け者」「社会のお荷物」「税金泥棒」。こうした言葉が私たちの心を深く傷つける。
でも内田氏の言葉を聞いて気づいた。私たちが社会から排除されることで、この社会全体が「ビューティフルワン」化していくのではないだろうか。優秀でない者を切り捨て続けた結果、最終的には誰もが孤立し、社会全体が機能不全に陥る。まさにネズミの実験が示した通りの道筋だ。
働きアリの法則が教えてくれること
内田氏が説明した働きアリの法則も、私たちにとって希望の光だった。サボっているように見えるアリも、実は集団にとって必要な存在。危機の時には重要な役割を果たす予備的存在だという。
私たちワクチン後遺症患者も、今は働けないかもしれない。でも、この経験を通して得た医療への疑問や、弱者への共感、社会システムへの気づきは、きっと将来この社会を良くするために役立つはずだ。苦しみを知った者だからこそ、同じ境遇の人に寄り添える。それも一つの価値ではないだろうか。
憲法13条が守る私たちの尊厳
内田氏が最後に引用した憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」。この言葉に、私は救われた思いがした。
ワクチン後遺症で苦しむ私たちも、個人として尊重される権利がある。生きる権利がある。幸せを追求する権利がある。たとえ今、社会に貢献できなくても、私たちの存在自体に価値があるのだ。
かごに乗る人、担ぐ人、そしてわらじを作る人
動画で紹介された日本の諺「かごに乗る人、担ぐ人、そしてわらじを作る人」。みんなが違う役割を持ち、それぞれに価値がある。この考え方が、どれほど心に響いたことか。
今の私は、かごを担ぐ力はない。でも、わらじを作ることならできるかもしれない。同じ境遇の人の話を聞いたり、体験を共有したり、小さな支援をしたり。そんな小さな役割でもいい。私にも居場所があるのだと思えた。
真の「和を持って尊しとなす」精神を取り戻そう
内田氏が語った聖徳太子の「和を持って尊しとなす」という理念。これこそが、今の日本に必要なものではないだろうか。
ワクチン後遺症患者への偏見や差別をなくし、互いを認め合う社会を作る。それが実現すれば、私たちのような弱い立場の人間も、安心して生きていける。そして、そうした社会は結果的に、みんなにとってより良い社会になるはずだ。
最後に
この動画を見て、私は希望を見つけることができた。社会から見捨てられたと感じていた私たちにも、生きる意味がある。存在する価値がある。
ワクチン後遺症で苦しむ仲間たちへ。私たちは一人じゃない。そして、この社会にとって必要な存在なのだ。今は辛くても、いつか私たちの経験が、より良い社会を作るための力になる日が来ると信じている。
そして、この文章を読んでくださった健康な方々へ。どうか私たちを見捨てないでほしい。私たちもまた、この社会を構成する大切な一員なのだから。
この文章は、ワクチン後遺症に苦しむ一患者として、内田博史氏の動画に深く感銘を受けて書かせていただきました。同じ境遇の方々に少しでも希望を与えられれば幸いです。