「数字に埋もれた命を、なかったことにしないために」
健康被害者としての思い
新型コロナワクチンをめぐる報道や、国や自治体の発表を見ていると、「重大な懸念は認められない」「安全性に問題はない」という言葉が、当たり前のように繰り返されています。
けれど、その言葉の陰で、人生を一変させられた人たちが確かに存在します。
私もまた、その一人です。
ワクチン接種後に体調を崩した人、突然大切な家族を失った人、原因不明とされながらも日常を取り戻せずにいる人たちがいます。
しかし、多くの場合、「ワクチンとの因果関係は不明」「関連は認められない」と言われ、そこで話は終わってしまいます。
まるで、はじめから何も起きなかったかのように。
現実の数字化
一宮市では、「接種後10日以内に亡くなった人が200人を超えていた」という事実が明らかになりました。
それにもかかわらず、その死亡例が一件も「副反応疑い」として国に報告されていなかったことが問題になっています。
本来、因果関係がはっきりしなくても「疑われる場合は報告する」ことが制度の前提のはずなのに、その仕組み自体が十分に機能していない現実があります。
それでも国は、「重大な懸念は認められない」と結論づけています。
私はここに、大きな矛盾と、深い悲しみを感じています。
思いやりワクチンって?
ワクチンを接種した多くの人は、「自分や家族、周りの人を守るため」「社会のため」という思いで接種を選びました。
健康な状態から、あえてリスクを引き受けて腕を差し出した人たちです。
その結果として体調を崩したり、命を落とすことになった人がいるのなら、本来、社会全体でその事実を直視し、支え、救済しなければならないはずです。
それなのに今は、「数字の扱い」や「定義の言い換え」によって、現実の苦しみが見えにくくされているように感じます。
私が一番つらいのは、「なかったこと」にされてしまうことです。
タブーと言わないで
接種のあとから始まった不調を訴えても、「気のせい」「ストレス」「持病のせい」と片づけられてしまう。
家族を亡くした遺族が「ワクチンの影響ではないか」と口にすると、まるでタブーに触れたかのような空気が流れる。
本当は、誰もが「もしかしたらおかしいのでは?」と感じているのに、それを口にすることすら許されない空気がある。
その沈黙が、被害を受けた人たちをさらに孤立させていきます。
素人目線での考え
私は、専門家ではありません。
難しい統計も、医学的な詳しい説明もできません。
それでも、「目の前で起きたこと」「自分の体に起きたこと」「家族に起きたこと」は、私自身の真実です。
その現実を、「数字の誤差」や「たまたまの偶然」として処理されることには、どうしても納得ができません。
だからこそ、次のことを伝えたいと思います。
1. 「おかしい」と感じた人が、その感覚を押し殺さなくていい社会であってほしい。
2. 因果関係が証明できないからといって、「何も起きていない」ことにはならないという当たり前の事実を忘れないでほしい。
3. 被害を受けた人や遺族の声に、耳をふさがないでほしい。
自治体へのお願い
自治体には、一宮市のように「接種後一定期間に亡くなった人数」や「報告されている副反応件数」を、もっとオープンにしてほしいと思います。
国には、「問題はない」と言い切る前に、実態を知ろうとする努力をしてほしい。
そして医療者には、「因果関係が証明できないから報告しない」のではなく、「疑いがあるなら残しておく」という、本来の制度の目的に立ち返ってほしいと願っています。
おわりに
このブログを書いているのは、誰かを攻撃したいからではありません。
同じように苦しんでいる人たちが、「自分だけじゃない」と少しでも感じられるように。
声を上げづらい雰囲気の中でも、「こういう疑問や思いを抱いている人が確かにいる」ということを残しておきたいからです。
ワクチンでつらい思いをした人たちの存在が、データの端に追いやられるのではなく、ひとつひとつの「人生」として尊重される社会であってほしい。
その願いを込めて、この文章をここに残します。
